前回の続きで大津港駅を出て陸前浜街道へ

本日の出発地「五浦変電所前交差点」交差点から出発します。

のどかな旧街道の風情を楽しみながらを15分ほど歩くと

関本の踏切の手前左手に八坂神社があります。

ここは道が二股に分かれており、

右手が岩城相馬街道、左手は古代東海道で勿来関へと通じ、

「右ひらかたみち 左いはきみち」と書かれた

追分道標になっている供養塔があります。(1727年建立)



岩城相馬街道で平潟へ


古代東海道で勿来関


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(0.8Km)

追分道標に従い、踏切を渡って浜街道を平潟へ向かいます。

国道6号線少し手前民宿益谷の看板を左へ入ると、左手に切岩地蔵尊があります。






(1Km)

その先で国道6号を渡ると下り坂で、漁村らしい狭い道が続き平潟港へ出ます。  

「茨城観光百選平潟港」と書かれた大きな石碑があります。



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(0.4Km)

平潟港を左折すると左手に安政7年建碑の平潟洞門の碑があります。

ここは、茨城県と福島県の県境でもあります。

長久保赤水が撰文をしたという案内板には、

この道は「百階坂」と呼ばれ、牛馬も通れないほどの急な坂道で、

しかも北へ向かう人には遠回りでした。

安永4年(1775)に完成した洞門は

長さ27m 幅3.,6m 高さ3m とあります。

急峻な崖が両側にあり、この道が切り通しになっていて、

ほとんど手作業の土木技術でよくここを切り開いたものだと思います。


平潟港を経由せず、山越えの道が使われるようになりましたが、

やはり山頂までは急斜面で

「慶長年間」に地元の豪商が貫通させたと伝えられているそうです。

この洞門は狭く、参勤交代の一行が通るときなどは

刀や槍がつかえることもあったそうで、

1652年洞門が切り通しに改められているそうです。




「縣界標」の前で


国道6号線へ合流



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0.4Km)
勿来漁港、きれいな勿来海水浴場、勿来関への入口を通り(勿来三叉路)

検問所までありました。

バス停には朝1便、学校のある日だけの運行とありました。


        

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(0.8Km)




(1.5km)
御城前交差点を右へ入ります。

ここから関田宿です。

「安島醸造元」という醤油屋さんがあり、とても気さくなご主人で

お味噌を買ってきましたが、とてもおいしいお味でした。

立派な蔵や石像まであり、創業年は聞き忘れましたが古くからの醸造元と思います。

街道は古くからの「松」や、家造りも宿場の面影があります。


左手に伊勢両宮神社の鳥居があり、長い参道が続き小高い丘の上にあります。

参道の工事は氏子で行っているそうです。







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0.8km




1.1km

蛭田川にかかる蛭田橋を渡りますが、「びんだばし」と書かれています。

その先を右折して安良(あら)という集落に入ります。

この右折する角の左には中田八坂神社があり、

樹齢300年の夫婦杉があるそうです。

この集落の入口には番人所があったり、

長屋門や「門かぶりの松」も見られる大きな家があります。



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1km

道沿いに左へカーブするところにの右手に石塔群があります。

錦東小学校の信号を川沿いに国道6号線へ向かい、鷺内に入っていきます。






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0.7km
県道56号線交差点を右折、鮫川を渡り植田宿へ入ります。            





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0.9km
鮫川を渡ってすぐ、植田宿の入口に江戸時代は番所があったそうで、       

「番所下」というバス停が唯一名残をとどめているようです。

植田宿の本陣もあったそうです。




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0.6km
常陽銀行の信号を左折し、植田駅へ向かい本日の行程を終わります。       


      


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0.3km

まーねーちゃんのひとりごと


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倶楽部まーねーちゃん







平成23年3月11日午後246分ごろ,

三陸沖を震源に国内観測史上最大のM9.0の地震が発生しました。


東日本大震災ではこれまでには考えられなかった甚大な被害を及ぼしています.

被災された方々のご無事とともに,亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

また復旧に当たられてにる皆様、ありがとうございます。

皆様が復興されるまで少しの間、植田宿からの街道歩きをお休みさせていただきます。
 






浜街道夫婦旅

神岡宿から植田宿



H.2211日(火)

晴れ 気温17

神岡平潟勿来→関田植田

大津港から植田まで、およそ10kmの道のりで、今回から福島県へ入りました。
南東北地方はこれから先の統治ができないため、
道奥国(みちのおくのくに)
として「みちのく」と呼ばれたともいわれます。
宿場には古くからの蔵が多く、今もきれいに使っているようです。
途中にある「勿来の関」を楽しみにしていましたが実在したかどうかも疑問視され、
「勿来」とは「来ル勿(ナカ)レ」、つまり「来るな」
という意味を持っていたという説があります。
「勿来の切り通し」の呼称は1670年に「磐城風土記」の記述に
「奈古曽切り通し」とあり、以後切り通し付近を「奈(名)古曽関」
と呼ぶようになったそうです。
新しくしようとしたもの、古くから大事にしているもの、
また「宿」と「集落」と呼ばれる場所の違いや
すべてが正確に語り継がれるとは限らないなど、今回は考えさせられました。
那珂湊も街の活性化、御祭禮の広報および保存活動について
私たち住民がもっと真剣に考えてもよいのではないかと思った一日でした。

「みちのく一人旅」という歌もありますが、私たちは「浜街道夫婦旅」として
これからも仙台を目指し頑張って行きます。

出 発

到 着

天 候

 所要時間

 推定距離 

歩 数

大津港9:40

植田1

晴れ

時間0分

1.5km

 18,941

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