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旧街道旅日記


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旧水戸街道を歩く


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黄門様も通ったかもしれない<旧水戸街道>を

ふたりで歩く「水戸街道旅日記」です

※「五街道」とは 東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道をいい
       水戸街道は、それに次ぐ「脇街道」の一つとして整備、開通しました。

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旧水戸街道を歩く 1

1日目【江戸街道起点(水戸街道起点)から奥谷まで】

備前堀にかかる鎖魂橋(たまげばし)にある
江戸街道起点碑(水戸街道起点)を出発し,奥谷まで歩きました。

その街道沿いにある吉田神社,山薬王院などの由来や由緒を
調べることによって水戸の歴史を感じさせられると同時に
自分の無知を知らされる思いがしました。

旧街道のわりに歩きにくさが残り,車社会を痛感しました。
狭い歩道をしばらく歩いていると突然歩道がなくなり,
やむなく道路の反対側にある歩道へというように,行ったり来たりして歩道を歩きました。

これは自転車も一緒。これでは高齢者や子供さんは大変でもあり危険だと思いました。
帰りは奥ノ谷からバスを使いましたが,乗り降りの大変さ,
料金表の見にくさでは自分の年歳とともに,
これからの高齢社会を実際に感じるには良い機会でした。

また,昼間のせいか乗客はなく,ふと湊線の現状を考えさせられた一日でした。

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旧水戸街道を歩く 2

2日目【奥谷から片倉まで】

奥谷を出発し, 水戸から3番目の宿場町片倉まで歩きました。
この日は車の通りも少なく,旧街道らしい道のりでした。
途中の小幡宿では広大な敷地の中に立派な母屋, 隠居,閑居,そして,藏などその数の多さに,
これが「スープの冷めない距離」なのかと先人の知恵には驚かされました。

また, 小幡城もあり,水戸家の旅館でもあった法圓寺や神社が多く見られ,
当時の栄えた宿場町の様子が思い起こされました。


小幡宿に入る前,国道6号沿いには, 
 かつて水戸光圀が終日めでて
 「千貫の価値」があると賞賛した
 桜の巨木があったそうです。

片倉宿には,水戸天狗党により母屋と門が焼き討ちにあい消失し,
焼け残った柱二本を使用して復旧したという門がありました。

やはり水戸街道なのかと歩って初めて分かりました。
   (通過した宿場:長岡=小幡→片倉)

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旧水戸街道を歩く 3

3日目【片倉から府中まで】

この日は片倉から府中まで歩きました。
府中藩は,元禄十三年(1700)九月,水戸徳川家の初代頼房(家康の子) の五男頼隆が
初代藩主となり城下町として栄えました。

竹原宿には竹原神社,聖徳太子尊などがあります。

旧街道の良さを残し,そこへ住む方たちは,
見ず知らずの私たちへも気軽に声をかけてくれました。

子供たちもきちんと挨拶ができ,とてもすがすがしい一日になりました。
このような声かけ,挨拶が一番の防犯なのではと,考えさせられました。

府中(石岡)では旧街道の両側に一里塚が残り,
特に東側の塚の上に植えられた榎が,
今も樹勢よく天に向かって伸びています。

今日では,両側に残っているものは少なく,特に榎が残っているものは
全国的にもめずらしいそうです。
大事にしたいものです。

  (通過した宿場:片倉=竹原→府中) 

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旧水戸街道を歩く 4

4日目【府中から中貫まで】

水戸街道で残っている「本陣」は稲吉宿,中貫, 取手だけです。
稲吉宿の本陣は、玄関屋根に領主本堂氏の定紋「笹りんどう」が付けられていて,
向かい側には脇本陣があったそうです。


また,木村家住宅「皆川屋」という旅籠は,江戸時代末皆川屋期の建築で当時のまま残っっていました。
本陣や十七もの旅籠が軒を連ねて,大名一行をはじめ旅人遊客で大分賑わっていたといわれています。
二階の客室には当時の遊女の名が記された壁がそのまま残っていて,
当時の旅の楽しみ方を伝えているようです。

中貫宿本陣の建物は元冶元年(1864)
天狗党の焼打ちで焼失後,
すぐに再建された貴重な建物で,
現在も住宅として使われていました。
昔の名残のある町並み,道標が続き,
これだけのものを残した地元の方には頭が下がりました。

私たちの地元にも反射炉など素晴らしいものがあります。
保存したり由緒などを後生に残さなければと,
江戸時代へタイムスリップしながら歩いてきました。

(通過した宿場:府中=稲吉→中貫)

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旧水戸街道を歩く 5

5日目【中貫から荒川沖まで】

中貫の本陣を見ながら出発です。
「板谷の一里塚」は「日本橋から二十里」の位置にあると書いてあり,
1Kmにおよぶクロマツの松並木が,通行人を暑さ寒さから守るため植えられてありました。

この一里塚が旅の大切な目安となり,そして旅人の安全を思っていたのか, 良く分かりました。
真鍋宿に入ると, 千枚格子がはまった旅籠風の古い家並みが続きます。
真鍋は桜の名所でもあるので,道をそれ真鍋小学校へ行ったのですが,
校門が閉まっていて見ることができませんでした。

旧街道へ戻り歩き始めましたが,挨拶をしても目を合わせない方が多くなってきました。
これも防犯上仕方がないのかと残念に思いました。
また,自治会組長さんの玄関には「○ 組組長」と掛札がありました。
土浦宿大町にある井戸には,

『この井戸は,日本橋から十八番目の一里塚の
かたわらにあった井戸である』

と刻まれていて,私たちも喉と気持ちを潤して,
中村宿を経て荒川沖まで歩きました。
 

(通過した宿場:中貫=土浦→中村→荒川沖)

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旧水戸街道を歩く 6

6日目【荒川沖から佐貫まで】

荒川沖宿を出て国道6号線。土浦市と牛久市の境に一里塚がありました。
土浦市(上り右側)は荒川沖,牛久市(下り左側)は中根となっています。
行政区分が違うのか,当時は同じ名前だったと思いますが,何か変な気分でした。
ひたち野うしく駅は1985年に科学万博が開かれた時にできた臨時の駅で,
科学万博には7回も通い,当時を懐かしく思い出しました。
あれから23年が経ち駅周辺も大分変わりました。
牛久宿田宮の一里塚を過ぎ,旧道へ入ると景色が一変しました。

このまま時代劇に出てきそうな,昼なお暗く, 
昔だったら追いはぎが出そうな道に出ました。

成井の一里塚,若柴宿を通り, 藤代まで歩く予定でしたが,佐貫へ変更しました。
自分たちの体力のなさと,当時の人たちの苦労が分かった気がしました。
(通過した宿場:荒川沖=牛久→若柴)

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旧水戸街道を歩く 7

7日目【佐貫から取手まで】

宿駅は特別な義務と権利を持ち, 自給自足が原則だった農村とは違った都市的性格をそなえていました。
若柴宿は,文政9年(1826)12月に建立されました。
「三叉路で旅人が迷い易いので若柴駅の老人が相謀り,
普門品一巻を読誦する毎に一文ずつ供えて積み立てた」と書かれた碑があるほど栄えましたが,
牛久沼淵の道路が開通し,当時の華やかさがなくなってしまいました。

今でも道路が一本できると, そこに新しい街ができ,人が集まり,
商店街ではシャッターを下ろす商店が増え,町が変わっていくことがあります。

藤代宿は公民館敷地の一角に本陣跡の立て札だけがあります。
宿場には参勤交代などの大名が泊まる本陣がおかれましたが,
その土地の有力者や豪農などの屋敷があてられ,
取手宿には染野家が本陣としてその役目を務めていました。

寛政7年(1795年)に建てられた見事な建物が, 
現在でも大切に保存されています。

裏山には水戸藩第九代藩主徳川斉昭の歌碑が建っています。
(通過した宿場:若柴=藤代→取手)

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旧水戸街道を歩く 8

8日目【取手から柏まで】

取手宿を出てすぐに利根川を渡ります。
昔の旅人は利根川が氾濫すると, 川止めが続き大変だったろうと思いながら,
大利根橋を歩きました。

今は広い河川敷があり, 氾濫して被害を受けることはないと思います。
ふと昭和61年の那珂川の氾濫を思い出し,早く堤防工事が進むようお願いしたいものです。
柴崎集落には街道唯一の未舗装道がありますが,
高層ビルも見えるという,都会と田舎が同居しているようでした。

またこの地域では「水戸街道」より「陸前浜街道」
と一般的に言われているようです。

一手前に「成田街道分岐」の碑があり,
「ずいぶんと江戸に近づいた。
さあもうひとがんばり」と見て通ったのでしょうね。

私たちも頑張って柏神社まで行ってきました。

(通過した宿場:取手→我孫子)
 
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旧水戸街道を歩く 9


9日目【柏から松戸まで】

小金宿へ向かうと、八坂神社には「水戸街道松並木の碑」があり、香取神社入口の一里塚の碑には
『ここにも一里塚があって、長い歳月の程を朝に夕に往き来の人を送り迎えた榎の巨木は、
幾とせか前に枯損して塚は毀ち均され、これは植え継がれた榎です』と刻まれています。

残念ながら、町の発展と共になくなってしまったのでしょう。
この宿には東漸寺があり、天狗党事件のとき、
水戸浪士千名近くが集結し江戸の様子をうかがったそうです。
また、玉屋(鈴木家)は江戸後期の旅籠の原形をとどめています。
大切に保存してほしいものです。

帰りの電車はとても混雑していましたが、取手を過ぎて緩和されました。
やはり茨城県なのかなと思い立っていましたが、女子大生と思われる方が席を譲ってくれました。
私が疲れた顔をしていたのか、それとも・・・!。
これも茨城県なのかと、席を譲られる気持ちが分かり、チョッピリ恥ずかしく、とても嬉しい一日でした。
                             (通過した宿場:我孫子=小金→松戸)


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旧水戸街道を歩く 10

10日目【松戸から千住まで】

黄門様も訪れたという松戸神社など、神社や古い建物がある松戸宿を過ぎると、江戸川に出ます。
渡しがあった当時を思いながら、葛飾橋を渡り東京へ入ります。
金町関所跡、「赤穂浪士討入りの図」がある
葛西神社を越えると「新宿(にいじゅく)」です。
日本橋から2番目の宿駅で、
水戸徳川家をはじめ人馬でにぎわい大変繁盛したようです。
亀有の一里塚には「千住宿から一里江戸日本橋から三里」とあり、黄門様一行の石像がありました。
小菅には自治会の掲示板が多く、「ここは荒川の氾濫により3m以上浸水するおそれがあります」
と書かれた標識もありました。

綾瀬川には水戸街道唯一の水戸橋がかかり、「小菅の渡し」があった荒川を渡ります。
「金八先生」ロケ地の堤防沿いからラジオ体操で有名な氷川神社を経て千住宿まで歩きました。
電車で8分の所を5時間かけ、町内のお付き合い、那珂川の氾濫、小、中学生のことなど時代の
移り変わりを考えさせられた一日でした。

(通過した宿場:松戸=新宿→千住)

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旧水戸街道を歩く 11


11日目【千住から日本橋まで】

日本橋を目指し千住を出ました。
430年前にできた千住の青物市場,通称「やっちゃば」足立市場までには,
「奥の細道入り口」の看板と芭蕉の石像があり,
当時の屋号や由緒が書かれた表札もありました。

1590年徳川家康が架橋を命じた「御橋」現在の「千住大橋」を渡ると,
奥の細道旅立ちの地「素盞雄(すさのお)神社」に矢立初めの句碑があります。


小塚原回向院を越え台東区へ入りますが,
靴の学校や太鼓,神輿のお店などがあり,
泪橋を境に千住とはまったく雰囲気が違いました。

三社祭にあわせ,浅草観音東参道を復活させとよとしたりと,
町おこしをしているようです。

私達も「那珂湊天満宮御祭禮(通称=八朔祭り)」が起爆剤になるよう頑張りたいものです。
吾妻橋, 駒形橋を見ながら神田川にかかる神田橋を渡り,明暦の大火の後,
跡地に開かれた江戸の代表的な商店街「横山町問屋街」や大伝馬町を通り
日本橋へ到着し, 江戸城まで足を延ばしました。

130 km歩って始めて気付かされたことが多く,とても有意義な,
そしてもう一度歩いてみたい旅でした。


水戸街道(水戸=日本橋)19の宿場

(長岡=小幡=片倉=竹原=府中=稲吉=中貫=土浦=中村=荒川沖=牛久=
若柴=藤代=取手=我孫子=小金=松戸=新宿=千住)




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旧陸前浜街道を歩く



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陸前浜街道は古代には海道と呼ばれ、
江戸時代には、日本橋から茨城県水戸市までを水戸街道、
水戸市から岩沼市までを岩城街道(もしくは磐城街道)と呼ばれ、
明治時代にのみ両街道をまとめて陸前浜街道と呼ばれたそうです。



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陸前浜街道を歩く1

水戸宿-枝川宿-沢宿


<平成21年10月5日>


歩き始めは水戸から笠松までです。

寿橋を渡り枝川へ向かう堤防沿いで,

この時期までいるのは珍しいツバメの群れに遇い,

まるで私たちを見送っているようにも見えました。

陸前浜街道は明治時代にのみ水戸街道との総称だそうで,

古代には海道,江戸時代には岩城街道(磐城街道)と呼ばれたそうです。


《陸前浜街道起点》

江戸時代には東北の大名は奥州街道を通ることを義務づけられ,

利用が許されていたのは相馬藩のみであったため,歴史の表舞台に出ることはあまり無かったそうです。

いわき市にある浄土宗名護派の総本山,専称寺は津軽藩,伊達藩,最上藩など

東北全域から多くの修行僧を集め,浜街道は末寺からの修行僧によって利用されていました。

寺の住職が訪れる際の行列は小藩の大名行列をも凌ぐともいわれました。

これからおよそ250Kmの道のりを,世の中に流されずゆっくりのんびりと,

古き良き時代を探しながら素晴らしい浜街道を歩こうと思います。


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陸前浜街道を歩く2

佐和宿-石上宿-大橋宿-森山宿-大沼宿-下孫宿

出 発

到 着

天 候

 所要時間 

 推定距離 

歩 数

笠松10:00

多賀15:00

曇り時々晴れ

5時間

14.3km

 24,286

<平成21年10月20日>

今回は笠松から常陸多賀まで歩きました。

国道6号線は人通りが少なく,地方の車社会を実感しましたが,

さすがに旧道へ入ると静かで地元の方も歩いていました。


挨拶をすれば気軽にお話までしてくださり,これが茨城の良さかなと思いました。

「人気のある県」ランキングでは茨城県が最下位との結果が出ましたが,

住んでみて初めてわかるのかもしれません。

72 年に一度の「金砂郷大祭礼」で渡御する際,

お神輿を安置するため植え継ぎ育てるという「石名坂の榎」を見て,

私たちの「那珂湊天満宮御祭禮」もしっかりと後世に引き継いでいかなければならないと

あらためて思い,またこういうお祭があるのも茨城県の良さであり自慢でもあるのかも知れません。
ただ旧道では見られなかったのですが,

国道6号線では空き店舗や空き家,

朽ち果ててしまった立派だった家などがあり,

景気の早い回復を願うばかりです。

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陸前浜街道を歩く3

下孫宿-助川宿-田尻宿-小木津宿

出 発 到 着 天 候 所要時間 推定距離 歩 数
多賀10:50 小木津14:3 晴れ 3時間40分 1.3km 6,357

<平成22年2月9日>

今回は常陸多賀から小木津まで歩きました。

2月というのに20度まで気温が上がり,雲一つなく歩くのには少し暑いくらいでした。

これも温暖化なのかと思いながら歩きました。

また,地域性なのか工場がたくさんある割には外国の方を見かけませんでした。


前回同様空き家も多かったのですが,立派な家も多く2世帯住宅もたくさん建っていました。


こういうところも格差社会なのでしょうか。

今回のコースはアップダウンも多く少し疲れましたが,

これからは山あり川ありと素敵な景色を楽しめるよう,のんびりと頑張ります。

昔の歌にもあるように

♪のんびり行こうよ俺たちは焦ってみたって同じこと・・・♪

世の中も急ぎすぎるのかもしれませんね。

   

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陸前浜街道を歩く4

小木津宿→川尻宿→伊師宿→安良川宿 (平成22年4月19日)

出 発

到 着

天 候

所要時間

推定距離

歩 数

小木津112

高萩154

曇り

4時間20分

1.5km

9,687


今回は小木津から高萩までの街道旅でした。

小木津に「浜街道」という標識があっただけで

ほとんど案内板は見当たらず,不安いっぱいでした。


街道沿いは昔ながらのお屋敷風の家が多く,宿場は商店街になっているようです。


4月中旬に桜と鯉のぼりを一緒に見られるとは思ってみませんでした。

今年の異常気象の一つでしょうか。

今回のコースでは満開の桜と中学生の元気のよい挨拶,

そして帰ってきたツバメたちに励まされ気持ちよく歩くことが出来ました。

海,山, 川があり素晴らしい景色と,お会いした町の皆さんの挨拶に,

また来てみたいとの思いが湧きました。


湊線をはじめ那珂湊も,地域の一人ひとりの方々のちょっとした気遣いが

大きな宣伝になるのかもしれません。 私たちも頑張っていこうと思います。       


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陸前浜街道を歩く5-1

安良川宿→足洗宿→磯原宿→神岡宿 (平成22年6月7日)

出 発

到 着

天 候

所要時間

推定距離

歩 数

高萩111

北茨城155

晴れ

5時間40分

18.5km

30,156




高萩地方の海岸線を通る街道には,寛政元年(1789年)当時72本の松が残っていたそうです。

「街道最後の松」として親しまれていた「北宿並木一本松」も

残念ながら松くい虫の被害により立ち枯れてしまい,市指定文化財を解除し伐採したそうです。

赤浜には「長久保赤水(ながくぼせきすい) 誕生地」

と書かれた大きな石碑があり日本地図も書いてありました。

長久保赤水は江戸中期の学者で,伊能忠敬よりも前に

日本地図を作った人だそうです。

石碑以外には案内板もなく,

こんな学者が高萩にいたとは知りませんでした。

那珂湊にも「湊御殿の松」という素晴らしい黒松があります。

今回も那珂湊と重ね合わせてしまいました。

史跡や名勝を大事にしながら,湊公園を含めあまり知られていない観光地を広められたらと思います。

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陸前浜街道を歩く5-2



南中郷の塩釜神社はお社と鳥居が線路で分断されていましたが,

旧街道へ入ると一気に景色が変わります。

火の見やぐらや左右には敷地の広い屋敷の前に綺麗な水が蓋もなく流れ,

幟旗を立てるとても高いの柱が宿場を思い起こさせます。
磯原のマンホールのふたには「六角堂」がデザイン化されてあり,

「通りゃんせ」の像や「野口雨情記念館」など

観光地らしいのですが,

二ツ島は鵜の被害で木がだいぶ枯れてしまっているようです。

陸前浜街道を歩いてようやく神岡上に二つ目の一里塚を見つけました。

旧街道へ入ると「門かぶり」になっている松もあり,やはり敷地も広く立派な家が多く,

地域への愛着が感じられました。

「津波に注意」という看板もあり,やはり海岸沿いなのかとあらためて思いました。

今回は潮の香り,花や木,そして下水や綺麗な水路などいろいろな匂いを感じながら歩きました。

住んでいては分からないことだと気をつけたいと思います。


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陸前浜街道を歩く6

神岡宿→平潟宿→勿来宿→関田宿→植田宿 (平成22年11月9日)

出 発

到 着

天 候

所要時間

推定距離

歩 数

大津港9:4

植田131

晴れ

3時間30分

10.5km

18,941


今回から福島県へ入りました。
南東北地方はこれから先の統治ができないため,
道奥国( みちのおくのくに) として「みちのく」と呼ばれたともいわれます。
宿場には古くからの蔵が多く,今もきれいに使っているようです。

途中にある「勿来の関」を楽しみにしていましたが,実在したかどうか疑問視されています。
「勿来」とは「来ル勿(ナカ)レ」,つまり「来るな」という意味を持っていたという説があります。
「勿来の切り通し」の呼称は,1670年に「磐城風土記」の記述に「奈古曽切り通し」とあり,
以後切り通し付近を「奈(名)古曽関」と呼ぶようになったそうです。
新しくしようとしたもの,古くから大事にしているもの,
また「宿」と「集落」と呼ばれる場所の違いやすべてが
正確に語り継がれるとは限らないなど,今回は考えさせられました。
那珂湊もまちの活性化,御祭禮の広報および保存活動について
私たち住民がもっと真剣に考えてもよいのではないかと思った一日でした。
「みちのく一人旅」という歌もありますが,
私たちは「浜街道夫婦旅」として,これからも仙台を目指し頑張って行きます。

  

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平成23年3月11日午後246分ごろ,

三陸沖を震源に国内観測史上最大のM9.0の地震が発生しました。


東日本大震災ではこれまでには考えられなかった甚大な被害を及ぼしています.

被災された方々のご無事とともに,亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

また復旧に当たられてにる皆様、ありがとうございます。
   

*復興復旧の落ち着くまで旧陸前浜街道の旅は休止させていただきます。



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陸前浜街道を歩く7

植田宿→新田(渡辺・初田)宿→湯本宿 (平成28年10月17日)

出 発

到 着

天 候

所要時間

推定距離

歩 数

植田駅10:05

湯本駅143

曇り

4時間25

14.8km

26,793


平成23年3月11日午後246分ごろ、

三陸沖を震源に国内観測史上最大のM9.0の地震が発生した東日本大震災のため

植田宿からの街道歩きをお休みしていました。

まだまだ復興途中とは思いながら5年半ぶりに陸前浜街道夫婦旅を再開しました。

植田には双葉町の役場や小学校があり、各地に仮設住宅も建っていました。

途中橋梁破損のため通行止めになっている旧街道を迂回し歩きました。

一里塚や史跡などを見つけることはできませんでした。


あらためて亡くなられた方々のご冥福と

被災された方々の本当の復興をお祈り申し上げます。

ちょうど映画「超高速参勤交代リターンズ」も公開されたタイミングでもあり

映画のように「えっさ こらっさ えっさ こらっさ」と

植田宿から湯長谷藩のある湯本宿まで歩いてきました。

湯本駅には映画「フラガール」のモニュメント、

「超高速参勤交代リターンズ」の看板などもあり、湯長谷城址までの案内もありました。

「フラガール」では那珂湊駅でのロケもあり映画のワンシーンを思い出しました。

これからもできる限り陸前浜街道を歩きたいと思います。

被災された皆様、

    「復興」から「福幸」へ がんばっぺョ!

    復旧にあたられている皆様ありがとうございます。






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旧日光街道を歩く
     


日光街道は、五街道の一つで日本橋を起点とし、日光坊中(日光東照宮)に至る街道です。

道中には21の宿場が置かれ、日本橋から宇都宮までの道程は奥州街道と共通であったそうです。

水戸街道を完歩した後、陸前浜街道を北上中でした。

震災のため休止していましたが、旧街道歩きを再開しました。

今回は「日光街道」を日本橋まで上ります。

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日光街道を歩く11 日光街道を歩く12


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日光街道歩く1


東照宮から今市宿H.24年10月30日(火)
  晴れ 気温15  鉢石宿-今市宿

今日は東照宮で旅の安全祈願を済ませ、

今市宿までのおよそ9Kmほとんどが杉並木街道を歩きました。

途中、日光街道を日本橋から歩いておられる素敵なご夫妻にお会いし、

私たちも見習いたいと思いました。

東照宮から出ると「例祭」時に神職が騎乗するための専用道がありました。

日光東町は門前町としてふさわしい街並みにするため「祭りのまち」と書き、

「いのりのまち」と読み景観を大切にしているそうです。

日光杉並木は数や延長では世界一とのことで、

大谷川の伏流水によるところが大きいそうです。

また「家体」というお祭りの屋台は彫り物も見事で集会場の近くに飾られています。

提灯屋さんでは蝋引きのいい匂いがして寄らせていただきましたが、

素敵な提灯を作成中でした。

今市宿には麹屋さんがあり、生麹の他にたまり醤油などを製造販売していました。

杉並木などの自然や祭りの保護を地域の方が大切にしているのがとてもよくわかり、

また皆さんの優しさ、温かさがとても印象に残りました。

何度でも行きたい街になりました。 


       

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日光街道歩く2

今市宿から大沢宿 H.26年1月20日(月)

          晴れ 気温今市宿-猪倉街道入口

住吉町バス停から榊里バス停まで
途中30分の昼食休憩をはさみ
3時間30分  26,810歩  13,5Kmの行程でした


前回、東照宮から今市宿まででしたので今回は今市宿からです。

14ヶ月ぶりの日光街道歩きは“今市宿の大寒は寒い”の一言から始まりました。

今市宿から杉並木街道が続きますが、国道の脇に保護の目的で整備してありました。

旧道は「並木ホテル」と言って根元が大きく空いている杉の大木があったり、

霜柱もたくさんあり、ザクザクと踏みしめて歩いていると昔々のわんぱくしていた頃を思い出します。

神社のそばには公民館があり、山車の小屋も併設されているところもありました。

また今市宿は「そばの町 今市」と看板がある通りお蕎麦屋さんが多く見られました。

初めて「そばの町」と知り、今市についての知識のなさを知らされました。

私たちの那珂湊も「おさかな市場」は有名ですが、

反射炉や黄門様の別荘だった「夤賓閣跡(いひんかくあと)」、

お手植えの「湊御殿の松」などたくさんの見所があり、

また8月に行われる「那珂湊天満宮御祭禮(八朔祭)」という300年を超す素晴らしいお祭りもあるのですが、

市外の方には認知はされていないようです。

茨城県は2013年度魅力ランキングで最下位ですので、もっと発信していきましょう。

   がんばっぺよ!!ランクアップ


            

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日光街道歩く3

大沢宿から宇都宮宿 H.26年2月3日(月)

     晴れ 気温 15  猪倉街道入口から不動前    


榊里バス停から不動前交差点まで 途中30分の昼食休憩をはさみ
4時間20分  30,527歩  14,7Kmの行程でした




前回、今市宿から猪倉街道入口まででしたので今回は猪倉街道入口から宇都宮宿(不動前)までです。

 “今市宿の大寒は寒い”の一言から始まりましたが、節分の今日はとても暖かい一日でした。

今回歩いたおよそ15Kmの中に3か所の一里塚がありました。

さすがに観光都市で、街道沿いの看板は木製が多く、景観を損ねないよう工夫がされているようです。

また、各地区でお祭りも行われているそうで、山車の小屋も多く見られました。

徳次郎宿には大谷石の蔵がある敷地の広い立派なお住まいが多く、旧街道の面影を残してありました。

建造物だけではなくお住まいの方も、とても暖かく感じられ、

人のぬくもりがあって初めて素晴らしい観光地になるのでしょう。

那珂湊へ来られた方には、私たちもぬくもりを持って

“お・も・て・な・し”をしていきたいと思います。




             

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nk4

日光街道歩く4

宇都宮宿から石橋宿 H.26年5月19日(月)

晴れ 気温 25    不動前から自治医大駅 


不動前交差点から自治医大駅まで 途中30分の昼食休憩をはさみ
5時間40分  28,268歩  18,1Kmの行程でした



今回は「湊線」「水戸線」「宇都宮線」「関東バス」と公共機関を使い、宇都宮の不動前から歩きはじめました。

少し汗ばむ程度の 歩き日和でした♪

前回、猪倉街道入口から宇都宮宿(不動前)まででしたので

今回は猪倉街道入口から宇都宮宿(不動前)から石橋宿(自治医大駅)までです。

朝、6時21分に那珂湊駅で 「湊線」に乗り、勝田駅で「水戸線」、小山駅から乗り換えて「宇都宮線」宇都宮駅へ

「関東バス」で不動前まで公共機関を使いましたが、やはり学生さんが多く乗車されていました。

今回歩いたおよそ18Kmはほとんどが国道4号線でしたが、

さすがに日光街道なのでしょうか、敷地の広い立派な家が多く見られました。

石橋宿には、旧街道の面影を残した家々がありました。

あわせて新しい住宅もたくさん建っていました。

新旧織り交ぜ素晴らしい街並みです。

もちろんお住まいの方も幅広い年代の方がお住まいのようです。

「ひたちなか海浜鉄道」、「天満宮御祭禮(八朔祭)」などとのコラボレーションをして

那珂湊もこのような街づくりをめざし活気あふれる街になるよう頑張りましょう。




                

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nk5

日光街道歩く5

石橋宿から小山宿 H.26113日(月)

          晴れ 気温 201 自治医大駅から小山駅



前回、不動前から自治医大まででしたので

今回は石橋宿(自治医大駅)から小山宿(小山駅))までです。

小山駅から「宇都宮線」自治医大駅まで列車の切り離しがありおよそ15分でした。

今回歩いたおよそ10Kmはほとんどが国道4号線でしたが、

旧道へ入っても、奥行の広いお屋敷が多く見られました。

新田宿(羽川地区)では「本陣や旅籠の屋号の掛札」がありがり、

また橿原神宮付近には「おはやし後継者育成指定地区」の看板もありました。

郷土を大切にし、伝統を伝えようとしているのが分かります。

那珂湊にも古くから伝わる「天満宮御祭禮(八朔祭)」のお囃子があります。

また「屋号の掛札」などは街の活性化になるのではないでしょうか。

那珂湊も活気あふれる素敵な街になるよう頑張りましょう。



                


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日光街道歩く6

小山宿から野木宿

tt
                          H.27年2月16日(月)

                              晴れ 気温 101
                          
                          
小山駅から野木駅 


                  小山宿 ~ 間々田宿 ~ 野木宿




前回、自治医大から小山まででしたので

今回は小山宿(小山駅)から野木宿(野木駅)までです。

小山宿と野木宿の間に間々田宿があり、江戸からも日光からも11番目の宿で、

「乙女の一里塚」はどちらからでも18里とちょうど中間地点です。

旧街道と言っても県道256号線・国道4号線なので車の交通量も多く、

道路は整備されていましたが、スーパーや食堂・ファストフード等の飲食店、

ホームセンターなどが見当たらず、また公衆電話も街道沿いにはありませんでした。

現代は車社会のためか新しい道路ができると新しいお店も移転してしまったのでしょう。

ただ、奥行の広いお屋敷が多く見られ、蔵を改造した民家やレストラン、

現代的な電気自動車のスタンドがあり、古き良いものを残し、新しいものを上手に取り入れ、

自分たちの街の歴史・伝統を頑張って守っているような感じがしました。

小山市教育委員会も「本陣跡」「間々田八幡宮」などたくさんの看板を立て説明しています。

ひたちなか市教育委員会 文化財室HPにも反射炉跡・湊御殿の松天満宮の祭礼などたくさんの資料があります。

茨城県は魅力度ランク最下位ですので、那珂湊から情報を発信して

「ひたちなか海浜鉄道」のように県内外からたくさんの方が来られるようになると良いですね。


        

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日光街道歩く7

野木宿から栗橋宿

tt        H.27年2月24日(火)

         晴れ 気温 12℃1
                          
         
野木駅から栗橋駅 


 野木宿 ~ 古河宿 ~ 中田宿 ~ 栗橋宿



 前回、小山宿(小山駅)から野木宿(野木駅)まででしたので

 今回は野木宿(栃木県)・古河宿・中田宿(茨城県)・栗橋宿(埼玉県)と3つの県にまたがり栗橋駅まで歩きました。

 野木宿では奥行の広いお屋敷が多く、母屋、隠居、蔵、その奥には防風林まであり堤防まで続いています。

 この敷地を何代にもわたって守り、伝えていくことは並大抵のことではないでしょう。

 古河宿にはたくさんの史跡が残り、電線も地中に埋められている地区もあり、案内板の設置、史跡の復元・保存、

 また
「てくてくツアー」などは史跡のスタンプラリーもできそうで、元気のある街に感じらえました。

 その他いろいろな情報を古河市観光協会が紹介しています。

 中田宿では下校途中の小学生が元気に挨拶したり、それを見守るボランティアの方をはじめ、

 私たち見ず知らずのものにも親切に「いわれ」を教えてくださったりと、

 地元の方の「おもてなしの心」を大事にしている様子が分かりました。

 栗橋宿でも洪水等の大水に見舞われても地域の絆を大切にしていて、

 江戸末期に建てらえたというお店も残り、当時からの取り扱っている商品などを掛札にも書いてありました。

 県は違っても地域や地域の絆を大事にしていく気持ちは同じなのですね。

 私たちにとって「本当は何が大切なのか」ということに気付かされた気がします。

 那珂湊も「水戸藩の台所」といわれたり、「天狗党の乱」での戦いの舞台になったりと歴史的にも名が残っています。

 史跡もたくさんのあるのですから、胸を張って那珂湊の情報を発信して、

 誰にでも気軽に声をかけあえる、そして安心して住める町を伝え続けていきましょう。


  
 ひたちなか市観光協会

  那珂湊歴史探訪(水戸藩ゆかりの史跡巡り) http://www.hitachinaka-sa.com/kanko03.html


  
    
        

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nk8


日光街道歩く8

栗橋宿から杉戸宿

tt        H.27年5月5日(火)

         晴れ 気温 24℃1
                          
         
栗橋駅から杉戸高野台駅 


 栗橋宿 ~ 幸手宿 ~ 杉戸宿



 

 前回、野木宿(野木駅)から栗橋宿(栗橋駅)まででしたので

 今回は「栗橋宿」から「幸手宿」を通り「杉戸宿」(杉戸高野台駅)まで歩きました。

 前回の続きで、栗橋宿(東3丁目交差点)からです。

 朝6時20分に那珂湊駅を湊線で出発し、JR水戸線、湘南ライナーを乗り継ぎ、8時46分に栗橋駅に着きました。

 国道4号線の側道には建築関係の家が多く発展性を感じ、

 幸手宿へ入ると古い家屋の保存、伝統あるお祭りの継承だけではなく、アニメのキャラクターを使って若い人も呼び込み

 街全体で活性化をはかっているように思われました。

 時代に合わせ形は変わるものです。

 古き良いものは守り、新しいものを取り入れること。

 その根幹を継承することが大事なのではないでしょうか。

 那珂湊でも湊線や国営ひたち海浜公園、お魚市場へたくさんの観光客の方が見えています。

 今朝も那珂湊駅でひたちなか海浜鉄道の吉田社長さんにお会いし、これから勝田駅でお客さまをご案内するとのこと、

 こういう積み重ねが大事なことだと改めて考えさせられた一日でした。


      



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nk8


日光街道歩く9

杉戸宿から粕壁宿     


                          H.27年6月30日(火)

                             曇り 気温 23℃1
                          
                        
杉戸高野台駅から春日部駅 

                         杉戸宿 ~ 粕壁宿 



 

 

 

前回、野木宿(野木駅)から栗橋宿(栗橋駅)まででしたので

今回は、杉戸宿(杉戸高野台駅)から粕壁宿(春日部駅)までです。

杉戸宿、粕壁宿もこれまでの宿場と同様に、旧道沿いは広い敷地に立派なお屋敷が多く見られ、

また古い家屋を残そうと修繕中のお屋敷も見られました。

また、さすがに旧日光街道です。

「奥の細道」の松尾芭蕉句碑が小淵山観音院など、街道沿いに多く見られます。

杉戸町には

「すきすきすぎーと36」には北緯36度線ということで地球儀のモニュメントがあり、

杉戸町の魅力を広く発信するため、「まちあるきマップ(日光街道宿場めぐり杉戸宿)」を、住民との協働で作成しまた。


春日部市は宿場町ウォーク「粕壁宿めぐり」というコースを作り、そのほかの文化・歴史・自然・芸術などをテーマに街歩きができる、

8種類9コースを紹介する「かすかべウォーク 2」を発行したり、

「クレヨンしんちゃん」を住民登録するなど活性化をはかっているようです。


今回の街道歩きにも湊線を利用し、那珂湊駅を朝6時20分に出発、19時32分到着でしたが、朝夕とも座ることができないほど満席でした。

私たちの街も「ひたちなか海浜鉄道」のように頑張っていきたいですね。


また湊線を各駅で降りて来られた方々に、

ひたちなかの見所や反射炉、山上門など歴史的な文化財のいわれをすぐに答えられるようにしなければと、改めて思いました。



      



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nk10

日光街道歩く10

粕壁宿から越ケ谷宿   


                          H.28年2月9日(火)

                             曇り 気温 10℃1
                          
                        
春日部駅から新越谷駅 

                         粕壁宿 ~ 越ケ谷宿 



前回、杉戸宿(杉戸高野台駅)から粕壁宿(春日部駅)まででしたので

今回は、粕壁宿(春日部駅)から越ケ谷宿(新越谷駅)までです。

春日部市の市街地から国道4号線へ出ると、広い敷地に建売住宅やマンションなどが建てられ

自転車も多く、東京に近くなったのを実感しました。

旧道に入った越ケ谷宿は「心温まる建物」として旧家を保存し

その建物で商売をしたり、生活をしたりして歴史あるものを大切にし、

新しい素敵な街作り
を目指し街の活性化をはかっているようです。

春日部市粕壁や越谷市越ケ谷のように新旧の名前を使い分けています。

また「NPO法人 越谷市郷土研究会」が資料作成や展示、絵葉書などの販売もしています。

自治会館も中古住宅など使わない建物を利用したり、「災害用井戸」をマンションの前に置いたり

自治会役員の「班長」「評議委員」などの掛札がありコミュニケーションも大事にしているようでした。


今回の街道歩きにも湊線を利用し、那珂湊駅を朝5時45分に出発、20時17分到着でした。

私たちの街も「ひたちなか海浜鉄道」のように発信する大切さを改めて感じさせられました。



 




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nk12


日光街道歩く11

越ケ谷宿から千住宿   


                          H.28年5月2日(月)

                             曇り 気温 20℃1
                          
                        
新越谷駅から北千住駅 

                        越ケ谷宿 ~ 草加宿 ~ 千住宿 


 

前回、粕壁宿(春日部駅)から越ケ谷宿(新越谷駅)まででしたので

今回は、越ケ谷宿(新越谷駅)から千住宿(北千住駅)までです。

越谷市の国道4号線から旧道へ入ると静かな街並みが続き

綾瀬川沿いでは今回唯一の一里塚(蒲生の一里塚)がありソメイヨシノの桜並木が続きます。

草加宿へ入ると約1.5kmもの松並木がある国の名勝指定「日本の道百選 草加松原遊歩道」になり、

百代橋」「矢立橋」「松尾芭蕉文学碑」などが整備され

シルバー人材センターの方々はじめたくさんのボランティアの皆さんがお手入れしていました。

草加宿はお煎餅発祥の地なだけにたくさんの美味しいお店がありました。

荒川を渡り千住宿へ入ると8年前「旧水戸街道」を歩いた記憶がよみがえりました。

当時からすると体力や頭の回転の低下をしみじみと感じました。

それに引き換え商店街の皆さんは「千住宿」を大切にし、町おこしをしようと活気があふれているようでした。

「千住宿を通った大名と家紋」をプレートで飾ったり、お店のシャッターに日光街道の宿場の絵をかいたりと、

いろいろアイディアを考えているようです。

私たちの那珂湊ももっと頑張れるのではと改めて思いました。




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12

日光街道歩く12

千住宿から日本橋


                          H.28年5月31日(火)

                             曇り 気温 24℃1
                          
                        

、越ケ谷宿(新越谷駅)から千住宿(北千住駅)まででしたので

今回は、千住宿(北千住駅)から日本橋までです。

千住宿からは8年前歩いた「旧水戸街道」を思い出しながら日本橋を目指しました。

千住宿は江戸から2里、

日光からは江戸へ入る最後宿で21番目、33里の
千住一里塚」があります。

松尾芭蕉に関連した碑や当時の屋号・由緒が書かれた表札、

6月2日から始まる天王祭の準備で賑やかな商店街など町おこしをしているようです。

小塚原回向院を越えると台東区へ入ると、8年前にはなかったスカイツリーが目の前にあり


観光客でにぎわう雷門前から明暦の大火の後、跡地に開かれた江戸の代表的な商店街「横山町問屋街」や

大伝馬町を通り日本橋へ到着しました。


日本橋のたもとに東京オリンピックまで 「1515日」 の掲示板がありました。

浅草へ戻り、雷門は修復中でしたが、

観音様へ旧日光街道(日光道中)踏破御礼のお参りしてから帰途につきました。

私たちの那珂湊も多くの歌碑、湊八景や反射炉・山上門などの名所旧跡があります。

那珂湊天満宮御祭禮(八朔まつり)のような伝統あるお祭りもあります。

そしてひたちなか海浜鉄道も2024年にはひたち海浜公園まで延伸するようです。

これからもたくさんの方で賑わいのある、活気あふれた街になるよう頑張りましょう。




        





20121030日に始まり 3年半12回、およそ150 kmの夫婦旅でした。

水戸街道を歩き始めてから9年半がたち、体力、気力、知力の衰えを実感しますが、

とても有意義な、そしてもう一度歩いてみたい旅でした。

またどこかの街道を歩きたいと思います。

そしていつの日か東日本大震災で休止している「陸前浜街道」

福島県の植田から再開できればと思います。



    被災された皆様、

    「復興」から「福幸」へ がんばっぺョ!

    復旧にあたられている皆様ありがとうございます。



どこかで私たちを見かけたら気軽に声をかけてください。


http://msclbu.web.fc2.com/kaidou.html




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