tt        H.28年5月31日(火)

        曇り 気温 24℃1


   千住宿 〜 日本橋


 今回は 北千住駅から日本橋まで歩きました。

 朝のうち小雨が降っていましたが、

 天気予報を信じ、朝6時19分に

 ひたちなか海浜鉄道 那珂湊駅を出発し

 勝田駅からJR常磐線で普通列車グリーン席に乗り、

 北千住駅向かいました。

 予報通り雨も上がり、8年前に歩いた水戸街道をを思い出しながら

 気持ちよく歩くことができました。



 


 
 
那珂湊 6:19発 350円 ひたちなか海浜鉄道
勝田 06:34着
06:53発 1,944円 JR常磐線
北千住 08:51着
普通車グリーン乗車券 980円 JR常磐線(勝田〜北千住)

JR線はIC料金

北千住駅から日本橋まで 16,326歩  9,3km  3時間24分




9:15


北千住を出て、

 前回の続き(旧日光街道)千住2丁目交差点から歩き始めました。

  




 

千住宿(せんじゅしゅく、せんじゅじゅく)は

日光街道(正式には日光道中)および奥州街道(正式には奥州道中)の

日本橋から
1番目の宿場町で、江戸四宿の一つである。

千住宿は、東海道の品川宿、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿と並んで江戸四宿と呼ばれた。

日光街道および奥州街道の初宿で、水戸街道はここから分岐していた。千住宿は岡場所としても発展した。

また、千住宿近隣には行楽地が出現し浮世絵や絵画に描かれている。


千住宿の南の町小塚原町には江戸北の刑場として、小塚原刑場が置かれている。

荒川に千住大橋がかけられ、千住の地は江戸(日本橋)から2里、

奥州・水戸両街道の江戸への出入り口の関門として急速に発達した。

文政4年(1821年)の調べによると、江戸参勤の大名は、

日光街道
4、奥州街道37、水戸街道23、計64の大名が千住の宿を往来している。



               Wikipediaより抜粋



9:30

千住の一里塚を探しながら歩いたのですが、今回は見つけられませんでした。

日本橋から2里の一里塚で、榎が植えられ、『是より日本橋に二里八丁』の道標があったそうです。

その先に千住問屋場・貫目改所跡があり、

また千住宿に隣接した新しい千住掃部宿(かもんじゅく)があったそうです。

  

「奥の細道入り口」の看板と芭蕉の石像があり、

当時の屋号や由緒が書かれた表札もありました。

千住の青物市場、通称「やっちゃば」足立市場は、

天正4(1576)年今からおよそ440年前にできたそうです。



足立市場前交差点を国道4号線を渡り、

千住大橋を渡る手前

(1590年徳川家康が架橋を命じた「御橋」現在の「千住大橋」のたもと)には

松尾芭蕉が見送り人々と別れた場所としても知られた「奥の細道矢立初めの地」の碑があります。



素盞雄神社にも同様の句碑があります。

ここまでが千住宿です。


















千住大橋

「荒川の流れに架(わた)す。奥州街道の咽喉(いんこう)なり。

橋上の人馬は絡驛として間断なし、橋の北一、二町を経て駅舎あり。」

文禄3年(1594)隅田川で最初にかけられた橋です。

松尾芭蕉が見送り人々と別れた場所としても知られています。



9:45


千住大橋を渡り、素盞雄神社(すさのおじんじゃ)へむかいます。


途中に昔の写真が飾ってありました。




素盞雄神社

別名「天王様」として親しまれ、毎年、天王祭6月2日に宵宮祭、3日に例大祭が行われます。

素盞雄大神(スサノオオオカミ)と飛鳥大神(アスカオオカミ)をご祭神とする

荒川区内でもっとも広い氏子区域をもつ神社です。

また、奥の細道の旅立ちの碑があります。

http://www.susanoo.or.jp/



天王祭で活気あふれる商店街を過ぎ、南千住駅前の回向院へ進みます。




回向院

安政の大獄で処刑された橋本左内、吉田松陰、

井伊直弼を倒した「桜田門外の変」の関鉄之介はじめ多くの元水戸浪士が眠り、

講談や芝居でお馴染みの鼠小僧次郎吉などの墓があります。

また、前野良沢、杉田玄白の『解体新書』の扉絵がついた記念碑があります。



http://ekoin.fusow.net/





























































































































11:15


山谷堀公園、待乳山聖天を過ぎ、

スカイツリーを左に見て、言問橋西交差点を浅草へ向かいます。




吾妻橋交差点を雷門方面へ右折します。


雷門前を左折した角に、

「浅草一里塚跡」があったそうです

日本橋から最初の一里塚で、痕跡はありませんが、

現観光センター付近が塚の跡地だと言われています。




駒形西詰交差点で国道6号線に合流します。


















11:35

吾妻橋、 駒形橋を見ながら神田川にかかる神田橋を渡り、

国道6号線(江戸通り)を蔵前、浅草橋へと進みます。



「浅草見附跡碑」(浅草橋駅 神田川たもと)

江戸幕府の開府に伴い、江戸城にはたくさんの門が建造され、江戸36門と称されています。

その内の1つである浅草御門は、見付門といわれ寛永13年(1636年)に建立されました。

現在は橋のたもとに「浅草見附跡碑」が立っています。

江戸幕府は「入り鉄砲と出女」の取り締まりと、外様大名への対応のために、

主要な地に「見附」と呼ばれる警護施設を設置しました。

この浅草見附」は奥州街道、日光街道が通り、浅草観音への参拝者の通り道に当たることから、

「浅草御門」と呼ばれ、警護の役人を多数配置していたことから

「浅草見附」と呼ばれたと言われています。

明暦3年(1657年)に発生した明暦の大火の際に、浅草門警備の役人が囚人の逃走を防ぐため、

この門を閉ざしました。

そのために、江戸市民の避難路が断たれ、

多くの焼死者と溺死者を出してしまったと言う悲しい歴史もあります。












12:10


浅草橋交差点を旧道へ入ります。

明暦の大火の後、跡地に開かれた江戸の代表的な商店街「横山町問屋街」を抜け、

「大伝馬町通り」進みます。

昭和通り手前に「日光街道道標」があるはずですが、見つけることができませんでした。


「横山町問屋街 」

江戸時代初期、この地に西本願寺の別院がありましたが、明暦の大火の後に築地に移転したため、

その跡地に町屋が開かれました。もとは御家人横山某の知行地で、それが町名の由来といわれます。

浅草御門に向かう本町通り両側の町屋で、街道筋にあたっていたことも手伝って、

小間物、薬種、書物などの各種問屋が軒を並べる問屋街として発展し、

やがて江戸の代表的な商店街となりました。



昭和通り、首都高速1号線を地下道でくぐります。


中央通り(国道4号線)室町3丁目交差点(千疋屋さんのところ)を左折し、

12時34分に日本橋へ到着しました。

日本橋

「この地は江戸の中央にして、諸方への行程もこの所より定しめむ」(江戸名所図会)

日本橋は、東海道、奥州街道、中山道、甲州街道そして日光街道の五街道の起点として、

慶長8年(1603)徳川家康により架けらたそうです。

現在の橋はルネッサンス様式の石橋で、明治44年(1911)に20回目の橋として架けられました。

日本橋の文字は15代将軍徳川慶喜の筆で、運慶作の獅子と麒麟を配置し、

街道の起点の意味で松と榎がデザインされているそうです。


日本国道路元票

明治に入ってから、日本橋の中央が国内諸街道の起点と定められ、

今も橋の中央に日本国道路元標が埋め込まれています。

日本橋のたもとに東京オリンピックまで 「1515日」 の掲示板がありました。


      

東京オリンピックは2020年7月24日(金)〜8月9日(日)の日程で、

パラリンピックは2020年8月25日(火)〜9月6日(日)の日程で開催されます。


https://tokyo2020.jp/jp/

















13:30

「虎屋」さんで羊羹を買い、

浅草「舟和」さんで抹茶と羊羹で一息ついて、



浅草寺で日光街道無事踏破の御礼を済ませ

普通車グリーン席で疲れを癒しながら帰宅しました。




「金龍山浅草寺」

628年網にかかった聖観音菩薩を祀ったのがはじまりで、都内最古の寺です。

現在も多くの参詣者が訪れて大変賑わっています。

http://www.senso-ji.jp/




「雷門」

平安時代天慶5年(942年)に平公雅によって寄進されたそうです。

門に向かって、右側に風神、左側に雷神が配され、朱塗りの山門で、

門の中央には、重さ約700Kgの提灯が吊りさげられています。

今回は修復中でした。



弁天山「時の鐘」

お堂に向って右手前にあり、

鐘楼の鐘は、元禄5年(1692)第5代将軍徳川綱吉の命により作られたもので、

江戸時代には「時の鐘」の一つでした。

現在でも毎朝6時に役僧によってつき鳴らされ、大晦日には除夜の鐘が響きます。

また、松尾芭蕉の読んだ句「花の雲 鐘は上野か 浅草か」でも有名な鐘です。


東京 16:37発 2,268円 JR常磐線
勝田 19:03着
19:16発 350円 ひたちなか海浜鉄道
那珂湊 19:32着
普通車グリーン乗車券 980円 JR常磐線(東京〜勝田)

JR線はIC料金





まーねーちゃんのひとりごと

前回、越ケ谷宿(新越谷駅)から千住宿(北千住駅)まででしたので

今回は、千住宿(北千住駅)から日本橋までです。


千住宿からは8年前歩いた「旧水戸街道」を思い出しながら日本橋を目指しました。

千住宿は江戸から2里、

日光からは江戸へ入る最後宿で21番目、33里の
千住一里塚」があります。

松尾芭蕉に関連した碑や当時の屋号・由緒が書かれた表札、

6月2日から始まる天王祭の準備で賑やかな商店街など町おこしをしているようです。


小塚原回向院を越えると台東区へ入ると、8年前にはなかったスカイツリーが目の前にあり

観光客でにぎわう雷門前から明暦の大火の後、跡地に開かれた江戸の代表的な商店街「横山町問屋街」や

大伝馬町を通り日本橋へ到着しました。


日本橋のたもとに東京オリンピックまで 「1515日」 の掲示板がありました。


浅草へ戻り観音様へ旧日光街道(日光道中)踏破御礼のお参りしてから帰途につきました。

私たちの那珂湊も多くの歌碑、湊八景や反射炉・山上門などの名所旧跡があります。

那珂湊天満宮御祭禮(八朔まつり)のような伝統あるお祭りもあります。

そしてひたちなか海浜鉄道も2024年にはひたち海浜公園まで延伸するようです。

これからもたくさんの方で賑わいのある、活気あふれた街になるよう頑張りましょう。





20121030日に始まり 3年半12回、およそ150 kmの夫婦旅でした。

水戸街道を歩き始めてから9年半がたち、体力、気力、知力の衰えを実感しますが、

とても有意義な、そしてもう一度歩いてみたい旅でした。

またどこかの街道を歩きたいと思います。

そしていつの日か東日本大震災で休止している「陸前浜街道」

福島県の植田から再開できればと思います。



    被災された皆様、

    「復興」から「福幸」へ がんばっぺョ!

    復旧にあたられている皆様ありがとうございます。



どこかで私たちを見かけたら気軽に声をかけてください。


http://msclbu.web.fc2.com/kaidou.html




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