小山宿から野木宿

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                          H.27年2月16日(月)

                              晴れ 気温 101
                          
                          
小山駅から野木駅 


                  小山宿 ~ 間々田宿 ~ 野木宿

今回は 小山駅から野木駅まで歩きました。

歩き始めは0℃と肌寒く感じましたが、風もなく気温も10まで上がり歩きやすい日でした。
                   
         小山駅から野木駅まで

               4時間  18,560歩  12,5Kmの行程でした

9時55分 前回の続きで小山駅からスタートします。


旧日光街道(県道256号線)へ出て、常陽銀行のところが問屋場で 

           その前が本陣跡、

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さらに山下呉服店は控え本陣、右が脇本陣跡、

       左が明治天皇行在所跡碑、

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右が高札場、市役所の側に小山評定跡碑、小山御殿跡、愛宕神社、妙建寺、


  「天慶3年(940年)、藤原秀郷が京都八坂神社より分祠勧請したと伝えられる日本一の大神輿渡御を誇る須賀神社」

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   などが続きます。


Kamaya西川チェーン店があり、その前あたりに小山の一里塚があったそうですが、

それらしきものは見つけられませんでした。

「小山の一里塚(日本橋から20里)」 「宮本町バス停」付近

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国道50号線の神鳥谷(ひととのや)東交差点の高架下を直進し、

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信号をこえると右側に巨大なムクノキがあり、旧道ならではの大きな門扉(長屋門)が見られます。

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粟宮の信号で国道4号線に合流(東京へ75.1㎞の標柱)、水神社や安房神社があります。

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国道4号線に入り

     大橋訥庵・巻子旧居跡

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 夫を支え通す貞節な妻の生き方を示すものとして賞讃され

 その経緯を綴った妻巻子の歌日記「夢路日記」がベストセラーとなりました。


 国登録有形文化財の「西堀酒造」さんの長屋門

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さらに進むと右に浅間神社と古墳入口の道標の標柱があり、その奥に浅間神社と千駄塚古墳があります。

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間々田郵便局の道路向き合いにある「蛸屋」さんの付近が

日本橋から19番目の「間々田の一里塚跡」と云われていますが、見つけられませんでした。

   (東京へ73.2㎞の地点の先)

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 天理教を過ぎ、左に行泉寺、右に浄光院があり、

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  このあたりが間々田宿の日光側からの出入り口だったそうです。

  間々田4丁目信号の右側に「八幡宮」があり、停止線が灯篭の奥にある鳥居の下でした。

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  八幡宮境内は約2万坪の敷地を有し、数百年の樹齢を数える古木、

  緋鯉、真鯉の遊泳する神の池が荘厳な雰囲気を醸し出しいるそうです。

  松尾芭蕉も奥の細道紀行で江戸を出発して2日目に間々田宿に宿泊しているのに因んで

  句碑「古池や蛙飛び込む水の音」が立てられています。


  



間々田信号手前には栗原電気の先 右側に本陣(ほぼ十八里の中間点)、東京へ72㎞の標柱付近に問屋場跡、

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左側この建物付近に脇本陣があったそうです。

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小山消防署間々田分所の手前に江戸と日光東照宮の中間地点といわれる「逢いの榎」があります。

江戸および日光から、間々田宿はそれぞれ11番目の宿場にあたり、距離もほぼ18里(約72km)の中間点に位置していました。

間々田宿と乙女宿の境付近にあった榎は、毎年、街道を通った例幣使が江戸と日光の中間(十八里)に、

この榎を植えて、旅の道のりを知ったのだという伝承が残されています。

榎は「間(あい)の榎」とよばれ、旅人の目印となっていました。(標柱71.4km付近)

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  「乙女屋」さんというお菓子屋さんに十八里最中の看板に誘われ、お茶を頂きながら小休憩しました。

 もちろん帰りには「十八里最中」を買い求めました。

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旧街道には奥行があるお屋敷が多く、蔵を改造した家や現代的な電気自動車のスタンドがありました。

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また神社仏閣多く、美術館も見られました。マンホールのふたもなぜか馬のデザインです。

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旧街道を進み、JAおとめホール先 佐山製作所の所に東京へ70㎞の標柱、

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その先右側にある光南病院付近信号の先に若宮八幡宮があり    

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この先左側イセキのお店の所に「東京へ69㎞の標柱」 その前に「乙女の一里塚(日本橋から18里)」があります。

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野木町に入り、将軍御休所跡の友沼村の総鎮守友沼八幡神社があります。

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その先「東京へ68㎞の標柱」付近の法音寺には、「道の辺のむくげは馬に喰われけり」の松尾芭蕉の句碑があります。

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左側に立派な長屋門があり、「○○本家」という表札がかかってありました。

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この先「友沼交差点」にて本日は終了です。東京へ67km

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  13時35分 16,761歩  3時間40分

ここから野木駅まで1.2km 1,799歩 20分 咲き始めた梅を観ながらゆっくりと歩きました。

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前回、自治医大から小山まででしたので

今回は小山宿(小山駅)から野木宿(野木駅)までです。

小山宿と野木宿の間に間々田宿があり、江戸からも日光からも11番目の宿で、

「乙女の一里塚」はどちらからでも18里とちょうど中間地点です。

旧街道と言っても県道256号線・国道4号線なので車の交通量も多く、

道路は整備されていましたが、スーパーや食堂・ファストフード等の飲食店、

ホームセンターなどが見当たらず、また公衆電話も街道沿いにはありませんでした。

現代は車社会のためか新しい道路ができると新しいお店も移転してしまったのでしょう。

ただ、奥行の広いお屋敷が多く見られ、蔵を改造した民家やレストラン、

現代的な電気自動車のスタンドがあり、古き良いものを残し、新しいものを上手に取り入れ、

自分たちの街の歴史・伝統を頑張って守っているような感じがしました。

小山市教育委員会も「本陣跡」「間々田八幡宮」などたくさんの看板を立て説明しています。

ひたちなか市教育委員会 文化財室HPにも反射炉跡・湊御殿の松天満宮の祭礼などたくさんの資料があります。

茨城県は魅力度ランク最下位ですので、那珂湊から情報を発信して

「ひたちなか海浜鉄道」のように県内外からたくさんの方が来られるようになると良いですね。















                  まーねーちゃんのひとり言


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