佐和上宿から下孫宿
曇り時々晴れ 気温22℃
佐和−石上−大橋−森山−大沼−下孫
今回は笠松から常陸多賀まで歩きました。 国道6号線は人通りが少なく、地方の車社会を実感しましたが、 さすがに旧道へ入ると静かで地元の方も歩いていました。 挨拶をすれば気軽にお話までしてくださり、これが茨城の良さかなと思いました。 「人気のある県」ランキングでは茨城県が最下位との結果が出ましたが、 住んでみて初めてわかるのかもしれません。 72年に一度の「金砂郷大祭礼」で渡御する際、お神輿を安置するため植え継ぎ育てるという 「石名坂の榎」をみて、私たちの「那珂湊天満宮御祭禮」も しっかりと後世に引き継いでいかなければならないとあらためて思い、 またこういうお祭があるのも茨城県の良さであり自慢でもあるのかも知れません。
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前回の続きで笠松を出発します。 舟石川、船場を通り二軒茶屋へ国道6号線を北へ向かいます。 旧街道を思わせる地名です。 10時 |
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石神外宿から国道6号線を常磐道 日立南太田ICへ 杉の花が咲き、特産の干しいもの収穫の真っ最中 榊橋では久慈川で遡上中の鮭を見ながら渡り、 季節を感じながらの旅です。 11時 「釈迦堂村馬頭観世音様保存の碑」があります。 |
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常磐道日立南太田ICの先で国道6号を、斜め左前方に入ります。 さすがに旧道は静かでにほっとします。 茂上川にかかる大橋という橋の手前左に古い長屋門があり、 橋の上でお会いした奥さんのお話では、 向かいにあった大内家には黄門様が泊まり、 長屋門のある家は、昔は茅葺の大きな家でその分家だったそうです。 11時40分 |
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国道6号線のバイパスをくぐり、いよいよ石名坂を登ります。 12時09分 「岩城相馬街道中で最大の難所といわれた急峻な石名坂」と 書かれているものもあり、電柱の住居表示も石名坂で 石名坂は坂の名でもあり村の名でもあったそうです。 坂の頂上よりやや下、右手に明治18年の馬頭観世音碑があります。 |
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坂の頂上は、T字路になっていて、左角に西行法師の歌碑 「西行法師のよめるものと伝ふ 世の人のねざめせよとて千鳥なく 名坂のさとのちかきはまべに 従二位勲三等子爵冷泉為勇書」があります。 「石名坂宿」というバス停がありますが、 「大橋宿」からすぐに「石名坂宿」があり いかに難所かがわかり、急坂を越えて一休みする宿場だったのかと思います。 その先右手に「石名坂榎元」というバス停前に「石名坂の榎」があります。 約1200年も前に始まった72年に一度の金砂神社磯出大祭礼の際、 神輿を水木浜まで渡御する途中この榎を切って切り株に安置し、 祭事が執り行われ、そして再び榎の若木が72年後の未来に向かって 植え継がれていきます。 今回は平成15年に執行されました。 12時33分 その先四つ角手前右手には「道祖神」がコンクリートの塀の中に祀られています。 国道6号と合流する少し手前三叉路右手に大きな馬力神があり、 右手にひたち竹人形があり、その先は下り坂で、 左手に大甕(おおみか)神社があります。 大甕神社に沿って左折するのが「岩城相馬街道」で、 直進するのが泉川道です。 12時58分 |
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国道6号に入り「浜街道」らしく、右手に海が見えます。 ここからだらだら下りになっていて、その先左手に日輪寺があります。 「森山宿」へ入るはずですが、宿の面影はほとんど感じられません。 昼食休憩を挟み先へ進みます。 森山2丁目信号右手に「一里塚跡」があります。 13時55分 |
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「金沢三差路」の信号で国道6号を左に分け、右斜め前方に入って行きます。 |
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金澤川と書かれた小さな橋を渡って左手には、祠の中に六反地蔵尊があります。 千石町1丁目左手に立派な門のある家があります。 この先、道は狭くなり旧道らしく感じられます。 「多賀駅入口」バス停の前の角の古い家は、 「かどや」と書かれたたばこ屋と駄菓子屋の店です。 今日はここで終了し、右折して「常陸多賀駅」から帰路につきます。 15時 |
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まーねーちゃんのひとりごと |
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