野木宿から栗橋宿
tt H.27年2月24日(火)t
晴れ 気温 12℃1
野木駅から栗橋駅
野木宿 〜 古河宿 〜 中田宿 〜 栗橋宿
今回は 野木駅から栗橋駅まで歩き、 栃木県・茨城県・埼玉県と3つの県にまたがりました。 |
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野木駅から栗橋駅まで 21,470歩 14,5km 5時間 内 日光街道は4時間30分 18,395歩 12,7Kmの行程でした |
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11時33分 11時55分 |
野木駅を出発 前回の続きの友沼交差点からスタート、国道4号線を進みます。 間々田宿も奥行の広いお屋敷が多く見られましたが 野木宿も広い敷地に長屋門があり、 その奥に母屋・隠居・蔵などがあり、暴風林も見られ、その奥には堤防も見られました。 間々田のマンホールのふたのデザインは「馬」でしたが、野木は「ひまわり」でした。 |
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友沼・松原・野木 地図.pdf |
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12時20分 |
野木宿道標 「是より大平山」と刻まれています。 |
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12時30分 |
浄明寺を過ぎた交差点右側に 「野木の一里塚」 があり、塚の上には榎が植えてあったそうです。 *今回は歩道の工事中でした。 「野木の一里塚」 「浄明寺」 満願寺を右手に見ながら進むと 左側に「脇本陣(熊倉家)」、 右側に「野木本陣跡」とみられる 「日光道中野木宿」の案内板があります。 |
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野木の一里塚付近 地図.pdf |
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12時40分 |
国道4号線から分かれ、県道261号線を右に入る交差点に 「野木宿周辺の松並木」の案内板があります。 |
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12時45分 |
風情ある野木小学校の看板や松尾芭蕉の句碑もある「野木神社」を過ぎると 「古河市」 の標識があり 栃木県から茨城県へ入ります。 松並という地名のように 交差点の左角に赤松が植えられていました。 |
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野木宿・古河付近 地図.pdf |
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13時08分 |
県道261号線から旧道へ入ります。 交差点には「古河宿」の標識があります。 先輩のお店 「理容 みむら」があるこの当たりは風情のある通りです。 |
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古河横山町付近 地図.pdf |
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13時20分 |
商店街は歴史あるお店や建物が並んでいて、「武蔵屋」さんは文化財にも登録されています。 今回は「はつせ」さんに寄り、「しら玉」をお土産に買いました。 |
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13時30分 |
「よこまち柳通り」を進むと、右側に「古河提燈竿もみ祭り発祥の地」の碑があります。 その先を左折し、県道261号線に合流し、 その交差点の角に移築された「日光道中道標」の碑があります。 交差点を右折し、左奥に古河駅があり、 常陽銀行反対側に 「古河城下本陣跡」の碑、 本町二丁目交差点角に「古河城下高札場跡」の碑があります。 ・ |
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古河駅周辺 地図.pdf |
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県道261号線沿いにはたくさんの案内板があります。 スタンプが押せる箱があったり、お豆腐屋さんの名前も「若木屋豆富店」とあり 「青物横丁」の標識、マンホールのふたは「花火」など いろいろ考えている様子が分かります。 |
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13時45分 |
県道261号線を進むと左側に「古河城御茶屋口門跡」の碑、右側に「長谷観音」の案内板があります。 Y字路交差点を左へ入ります。狭い通りですが県道261号線です。 交差点角に 「古河宿」の標識 ・ 「松並木のある風景日光街道」の案内板があります。 「浄善寺」を右側に見ながら県道261号線沿いに進むと、左側に「祭禮道 原町口」の碑があります。 |
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原町口付近 地図.pdf |
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14時 |
さらに進むと古河二高が左側にあり、道路沿いの校庭に「原町 一里塚」の碑があります。 |
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原町一里塚付近 地図.pdf |
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14時30分 |
国道354号線の交差点を横切り、県道228号線へ入ります。 古河二中前の歩道は自転車専用道が青く染まっていて、ゆっくり歩ける幅がありました。 梅も見ごろに咲いていました。 |
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大堤付近 地図.pdf |
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14時45分 |
「茶屋の松原」・「中田の松原」と案内板があり、まっすぐな道に松並木が続きます。 茶屋新田・茶屋松原の案内板には「日本橋十七里・日光二十里」と書いてあります。 東北本線踏切の歩道橋を渡ると松並木を復元、保存されているボランティアの方に出合い、 徳川家康の時代からのお話を伺うことができました。ありがとうございました。 |
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茶屋新田付近 地図.pdf |
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15時35分 |
下校してきた古河第4小学校の生徒さんに会いましたが、元気に挨拶されました。 ボランティアの方をはじめ、地域を大事にする皆さん活動が分かる気がします。 道路沿いに菜の花を眺めながら、私たちも元気を頂きました。
「中田の一里塚」が見当たらないまま「中田宿の案内板」まで来ました。 |
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15時40分 |
利根川堤の交差点を過ぎると一方通行の道路になります。 その右側に「房川(ぼうせん)の渡 と中田関所跡」の碑があり、 堤防沿いに進むと国道4号線に合流します。 利根川を渡り埼玉県へ入ります。
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中田関所 付近 地図.pdf |
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16時 |
旧水戸街道で渡って以来の利根川越えです。 道なりに右折し、八幡神社の交差点を戻るように左折します。 その先左側 堤防沿いに「栗橋関所跡」の碑がありますが、 道路沿いでは大規模な遺跡の発掘作業が行われていました。 新田宿にはたくさんありましたが、ここ栗橋宿にも掛札がかかっているお店がありました。 掛札には「創業年・業種・取扱い品・建築時期」などが書かれて、 なかには江戸中期建築の建物もありました。 この栗橋も川沿いのためか大水の被害があったようです。 古い街並みを観ながら 栗橋東三丁目で本日の行程を終わります。 |
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栗橋関所 付近 地図.pdf |
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16時30分 |
街道から外れ栗橋駅へ向かいます。 栗橋駅の北側(古河駅より)に「静御前の墓」があります。 お参りして栗橋駅16時49分発の電車で帰宅しました。 |
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栗橋駅 付近 地図.pdf |
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古河宿のスタンプの一部
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前回、小山宿(小山駅)から野木宿(野木駅)まででしたので 野木宿では奥行の広いお屋敷が多く、母屋、隠居、蔵、その奥には防風林まであり堤防まで続いています。 古河宿にはたくさんの史跡が残り、電線も地中に埋められている地区もあり、案内板の設置、史跡の復元・保存、 中田宿では下校途中の小学生が元気に挨拶したり、それを見守るボランティアの方をはじめ、 県は違っても地域や地域の絆を大事にしていく気持ちは同じなのですね。 私たちにとって「本当は何が大切なのか」ということに気付かされた気がします。 那珂湊も「水戸藩の台所」といわれたり、「天狗党の乱」での戦いの舞台になったりと歴史的にも名が残っています。 史跡もたくさんのあるのですから、胸を張って那珂湊の情報を発信して、 誰にでも気軽に声をかけあえる、そして安心して住める町を伝え続けていきましょう。 ひたちなか市観光協会 那珂湊歴史探訪(水戸藩ゆかりの史跡巡り) http://www.hitachinaka-sa.com/kanko03.html |
東照宮〜今市宿 | 今市宿〜猪倉街道入口 | 猪倉街道入口〜不動前 | 不動前〜自治医大駅 | 自治医大駅〜小山駅 | 小山駅〜野木駅 | 野木駅〜栗橋駅 |
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栗橋駅〜杉戸高野台駅 | 杉戸高野台駅〜春日部駅 | 春日部駅〜越谷駅 | 越谷駅〜北千住駅 | 北千住駅〜日本橋 | ||
栗橋宿=幸手宿=杉戸宿 | 杉戸宿=粕壁宿 | 粕壁宿=越ケ谷宿 | 越ケ谷宿=草加宿=千住宿 | 千住宿〜江戸 |
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倶楽部まーねーちゃん |